【中学入試】早大学院を蹴って明大明治に進学した小6のお話①

2019年8月20日

こんにちは、もものすけです。

今日はかれこれ5年くらい前に受け持った、素敵な男の子の話をしたいと思います。

さすがに名前は出せないので、彼をAくんとします。

彼の受験物語は私の中で今も大きな財産となっています。

 

POINT!☆偏差値48→62のサクセスストーリー

☆お父さんお母さんの全力フォロー

☆誰もが応援したくなる、彼の全力投球スタイル


A君ってどんなタイプの生徒だった?

よくいるわんぱく野球少年、というのがA君の第一印象です。

もともと基礎クラスだったので、私は担当していませんでしたが、

小5の最後の時期に僕の担当する応用クラスに上がってきました。

とにかく野球が大好きで、野球が上手で教えてくれるお父さんのことも大好き。

そんなA君でした。

最初は特別真面目、という印象もなく、

良くも悪くも普通のよくいる小学生でした。

負けず嫌いないがぐり坊主、というのが最終的な印象ですかね。

 

受験までの道のり

彼は小6になったばかりの頃は、明大明治が第一志望校でした。

理由は超単純。お父さんが明大明治の出身だったのです。

大好きなお父さんの出身校で野球がしたい。

そしていつの日か六大学野球のスターに、というのが彼の夢であり目標でした。

偏差値でいうとだいたい50〜55くらい。志望校にはまだまだ届かない水準です。

(明大明治だと58は欲しいところです。)

そういえば宿題が終わらず、泣きながら塾にきたこともありました。

模試の結果だって決して順風満帆だった訳ではなく、

なんども面談室で悔し涙を流していたことも強く印象に残っています。

 

A君の家庭環境について

お父さん、お母さん、3つくらい下の妹の4人家族だったかと思います。

お母さんはいつもニコニコしているとても優しい方でした。

彼の優しい心根はきっとお母さんから受け継いだものなんだろうなと思います。

一方でお父さんは優しくも厳しい、いわゆる昭和のお父さんタイプ。

ただ、息子の受験に対し、ここまで献身的にサポートをしていたお父さんを僕は他に知りません。

宿題の進捗状況や、模試の分析などをご家庭でしっかりと管理してくださっていました。

父母面談の際に、こちらがA君の得点傾向や苦手分野等を指摘すると、

「やっぱりそうですよね。さすが先生、よくわかってる。」

と、どちらがプロなのかわからないくらい、状況をよく把握されていて、

面談のたびに講師側にも緊張感が走っていました。

 

受験生に大きなストレスがかかる、入試直前期の集中特講の際には、

朝の6時からA君と二人で公園をお散歩し、ストレス解消をさせていたそうです。

 

A君の受験プランについて

A君は高い壁があればあるほど頑張れる、スポ根漫画の主人公のような性格だったため、

明大明治の合格を掴み取るために、さらにその上の早大学院を第一志望校に据えることにしました。

明大明治と早大学院の問題のレベル感が近かった、というのも早大学院を選んだ理由の一つです。

 

実際のA君の受験プランは以下の通りです。

1月 栄東A・立教新座・東邦大東邦

2/1 早大学院

2/2 明大明治

2/3 明大明治or慶応中等部

 

1月の立教新座が不合格だった場合、2月2日の午後と2月3日に抑えの学校を持ってくる予定でしたが、

見事立教新座に合格したため、強気のプランとなりました。

2月2日の夜に明大明治の合否が判明するため、

◎→2/3は慶応中等部

×→2/3は明大明治リベンジ

というプランとなっていました。

A君の入試結果

1月 ◎栄東A・◎立教新座・◎東邦大東邦

2/1 ◎早大学院

2/2 ◎明大明治

2/3 明大明治or▲慶応中等部(二次試験で不合格)

 

なんと!明大明治どころか早大学院まで射止めてきました。

僕としても大変びっくりで、合格の報告を受けた時は、

今までの彼との苦しかった道のりを思い出し、ついつい目頭が熱くなりました。

 

なぜ彼がここまでの結果を残すことができたのか。

私なりの分析を次のページにまとめさせていただこうと思います。

 

ではまた100年後〜!